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奇跡の「温泉力」より

第五章 村杉の未来を語る

未来の村杉について、インタビュー形式でご紹介いたします。

東京に宣伝キャラバンを組んでいた時代もありました

今、村杉温泉は新しい時代を迎えようとしている。  共同浴場だけでも年間十万人を越える客が訪れ、週末を中心に駐車場がごった返す。  その中枢にあるのが第一章でも触れた村杉温泉組合。源泉を総有財産として所有し、旅館八軒、農家、商店、石材店、サラリーマン他四十五名で構成されている。旅館より異業種のほうが多いという全国的にも珍しい温泉組合だ。  この組合で、本多静六博士の構想を現代によみがえらせるために奮闘している若手経営者たち。目先の繁栄ではなく、未来の村杉をどう創り上げていくのか、荒木善紀(村杉温泉組合長)さん、川上博治(阿賀野市観光協会長)さんに話を聞いた。

村杉温泉という素晴らしい温泉地の歴史をたどってみると、そのまま日本の温泉史のようなところがあります。村杉温泉は、昭和初期の入り客が十万人を超えていました。昭和三十八年頃までは比較的順調に来ていたと思うのですが、その後からバブル期あたりまではどういう時期だったのですか?

荒木

温泉の有難さというのを忘れてしまい、接待関係ですごい時代になっていたんです。「新潟の奥座敷」ということで、接待関係のお客様、社長さん方の骨休みの場所でした。村杉芸妓置屋組合に六十人くらい芸者さんがいた時期もありました。それと、温泉の温度。村杉温泉は二十六度くらいしかない温泉です。温泉とは温かいものだというのが、この辺の住民の頭のなかにもあって、「ここは大した温泉じゃないのだ」というように思っていたみたいです。それで温泉より環境、新潟の奥座敷的な部分で売っていこうという方向に転化したんですね。そしてバブルが過ぎた時点で低迷。接待関係がほとんどなくなったものですから。

川上

温泉地から観光地へという流れがあったんです。温泉地としては名前が知れているから、これからは観光地にしようと。それまでは二週間も湯治をする、低単価で長期滞在型の温泉地だったのですが、「観光地にしよう、新潟の奥座敷にしよう」ということで、一泊二日型で高単価のお客さんを集めようというふうになって。だからお薬師様にも、以前は病気が治った方の松葉杖があったのですが、それを全部焼却処分して。見栄えが良くないものは片付けて、きれいな観光地にしようと。芸者さんもそれまでは十人もいないくらいだったのですが、どんどん増やしました。そしてキャラバン隊も作って、芸者さんを引き連れて行って駅前で踊りを踊ったり。最初の国体の頃(昭和三十九年)ですね

荒木

車の上に「村杉温泉」と書いた選挙カーみたいな看板や、スピーカーを付けたりして。キャラバンに一生懸命動いた時期があったんです。東京まで行っていたんですよ。そして、接待した銀座からいきなり高額の請求書が来た(笑)。キャラバンに行ったのはいいんだけど、だいぶ散財もしてきたみたいですね(笑)。

そしてバブル前後から団体客が減り、個人客の時代に変わりました。

荒木

変わりましたね。徐々に団体志向から個人志向に大きく変わりました。これからもう一度私たちの世代が、ラジウム温泉という素晴らしい資源を活用して、大正時代に栄えた頃のようにしたいと思っています。そういう時代もあったのだから、もう一度それにトライしてみたい。昔の文献を漁ったり、写真や資料を探したりすると、栄枯盛衰がわかります。今まで続いてきたものを、また我々が掘り起こすという気持ちです。

川上

その動きに決定的だったのが、長野県白骨温泉の偽装温泉問題です。あそこから一気に薬湯ブームが来たんです。中越大震災の半年くらい前だったでしょうか。新潟県が調査を始めた第一回目が、八月二十三日。それまでは温泉の権利のあるところに許可は出していたんですけど、二回目の調査というのはやっていなかった。温泉法には十年に一回は調べ直しをしなさい、と書いてあるんですが、実際には保健所の方も来なかったし、大半の施設が調べられていなかった。村杉温泉は、十年に一回くらいはお湯のことを調べていました。それでだいたい何マッヘあるかということがわかっていました。

荒木

一号井が大体五十~六十マッヘですね。昔からそれぐらいでもうひとつ、きっかけというか、村杉温泉観光協会で薬師堂に紫陽花や椿を植えようという動きがあったんです。その中で、旧安田町・椿花園の大岡さんが、「村杉温泉はすばらしいラジウム温泉なので、もうちょっと温泉をPRして、世に広めた方がいいんじゃないか」というような話をされました。その時たまたま三条の保健所の環境課に勤めていた百都さんが来られていて「いや素晴らしいラジウム温泉だ」と。百都さんは村杉温泉の大ファンの方で、今は温泉組合の相談役的なことをやって頂いているのですが、「これだけ素晴らしい温泉を活かさない手はないよ」と言って下さいました。

川上

全国的に温泉が飽和状態になってきているなかで、昔からの効能を活かした温泉地というのは素晴らしいという話だったんです。バブル全盛期であれば、巨大旅館や、スーパー銭湯など、お風呂がいくつもあるような施設が注目されました。温泉とはなんぞやというよりも、施設の方に目が行っていた。本来、温泉というのは薬湯からきています。温泉法を見て頂くとわかるのですが、温度であれば二十五度以上、あるいは身体に効能のある成分がある程度の量を超えて入っていれば薬湯と認めるとあるのです。ところがこの原点をすっかり忘れていた。全国の温泉地、お客様が、良い施設があるかどうかを判断基準にして、バブルに踊っていた。われわれもまた、焦点が定まっていませんでした。村杉温泉が脚光を浴びたのは、大正三年に効能が世界一と言われたことからです。そこを忘れ、一方でバブルにもあまり踊らない温泉地だったのです。そんななかで、きっかけをそのへんが作ってくれたのだと思います。それまでは、ラジウム温泉としてのPRはおろか、どういった温泉かすら知らなかった。

荒木

平成八、九年くらいから村杉のラジウム温泉をとにかく推進していこうということで、平成十二年に「ラジウム推進委員会」を立ち上げました。それで、大妻女子大学の堀内公子教授を招いて「村杉温泉ラジウム研究会」を開催。ラジウム温泉の特徴や効能、安全性について学んだ。その後、新潟大学名誉教授の島津光夫先生が「村杉温泉の地質と泉脈について」講演。そして、観光協会の講演会でも新潟大学大学院の安保徹教授を招いて「体温と免疫」というテーマで講演して頂きました。この時の安保先生の講演は立ち見客まで出る盛況振りで、あらためて健康への興味がいかに高いかを知らされました。

村杉画像 007

荒木善紀さん(左)と、川上博治さん

本多静六さんの文献の発見というのも、その流れのなかでの象徴的な出来事だったのかもしれませんね。あの中で「華美ではいけない」、「レジャー施設というのはどこでも真似ができるから、それに頼ってはだめだよ」というようなことが書いてあります。ここにしかないものを大事にしながら、自然や景観、こちらであれば木と、水と、温泉。この3つを大事にしながら公園化しましょう。本来あるものを大事にしながら育てていく。そうすると自然にここは有名になりますよ、と。

荒木

それこそ日本初の林学博士が考えられた構想を、現代バージョンとして何とか実現していきたいですね。本多静六先生が描いていた夢の構想を、我々の世代で実現させたい。大きな夢です。いや、夢と言うより、実現して後世に伝えていかなければならないことだと思いますね。

一九九十年に「ゆうきの里宣言」をして、有機栽培にも一生懸命取り組まれています。それに旧・笹神村の時代から、農業体験など都会の方との交流も盛んにやってらっしゃいます。

荒木

昔は今のようなシステムは理解されず、取り入れられなかったらしいのですが、地元の旧笹岡農協で組合長をなさっていた五十嵐さんという方が、「これは必ず将来に結び付く」と有機栽培を奨励しました。三十年ほど前から、村杉温泉がある笹神地区(旧笹神村)では、ほぼ全域の農地で有機栽培や減農薬栽培に取り組んでいます。そして、当時から首都圏の生協さんとの道を作りあげてきたのです。それがここにきて、これだけ大きく花を開いた。

川上

七年前に日本農業賞第一回目の特別賞「食の架け橋」賞を受賞したんです。ほかにもいろいろな賞を受賞しています。今から約三十年前、農協は全農から、「手間のかからない農業をみなさんに指導しなさい」と言われて、農薬と化学肥料を販売していたのです。そして「お米は全部農協へ入れてくれ」と。けれどここの農協は全く反対で、「安全・安心、どこよりも美味しいお米を産直で届けたい」という思いをもった。今から考えると先見の明なんですけどね(笑)。

この地域でグリーンツーリズムが盛んだという話は、昔から聞いていました。なぜこの一帯なのかな?と思っていたんですが、そういう交流の歴史があっての話なんですね。本多静六さんみたいな方ですね(笑)。

川上

今も減反のところには豆を植えて、その豆で豆腐を作って、首都圏の生協(パルシステム)に、毎日三万丁ほどの豆腐を送っています。マーケットが百万世帯あるので、三万丁送っても足りないんです。 ここは水が良いですからね。豆腐は水と豆なんです。村杉にはもう一軒、「川上とうふ」さんもありますし。ここは新潟県一の豆腐の産地ですね。

荒木

農協は「JAささかみ」が中心となり、株式会社ささかみという会社を運営しています。減反政策で大豆を作って、豆腐工場を造って、大豆体験加工施設で体験もできるような仕組みです。

食の関係ですと、新潟県に旅される方の一番期待度が高いのが「食」です。それも、地元の食材を味わいたい。五頭温泉郷の旅館は有機栽培の食材をみなさん使ってらっしゃるんでしょうか。

荒木

そうですね。農家と提携しています。それと「五頭山麓うららの森」の「ゆうきふれあい即売所」で冬場を除いて毎日やっている朝市。調理長が仕入れに行って、「健康野菜」ということで使わせて頂いています。これは先ほどお話した五十嵐さんが携わってきた有機農法で作られた野菜です。こうした一連の仕組みは、私が観光協会長をやっていた頃に「食料と農業に関する基本協定」ということで、JAさんを中心に観光協会、旅館組合、そして行政が中に入って作りました。こういう形を作ったのも、たぶん日本で初めてだと思います。

もう一つ、同時に「環境に優しい温泉地」をめざしています。蛍とかメダカが生息する、環境に優しい温泉地をテーマにしていきたいということで、各旅館が自然素材の石鹸やシャンプーを導入しました。五頭温泉郷にある十八軒の旅館すべてで、浴室に置くボディシャンプー、シャンプー、リンスを石油系の界面活性剤を使用しない、生分解性の高いシャンプーに切り替えたんです。 今では毎年六月下旬には蛍が飛び交うようになりましたし、川にはメダカも復活しました。素晴らしい光景が見られるようになって、夏には「蛍鑑賞ツアー」も開催しています。農薬は使わない。水はきれいに。環境にやさしく。最近では森林保護とゴミ排出量削減のためにエコ箸の使用も始まりました。

村杉画像 004

村杉温泉の象徴「薬師乃湯」正面

健康をテーマにした温泉地づくりへ

先ほど荒木さんがおっしゃったように、本多先生の構想があって、こちらには素晴らしい食に関しての歴史もあります。この二つを合わせたところに今度は健康。新潟県が健康産業育成のために実施している「健康ビジネス連峰」事業に認定されました。

荒木

健康が今大きなキーワードになっています。だからやはり健康をテーマにした温泉地作りというものに対して取り組んでいかなくてはなりません。「健康ビジネス連峰」は、泉田新潟県知事が村杉を訪れた時に、温泉観光地に対する助成みたいのはないもんですか、という質問をしたら、「素晴らしい温泉地だと認識しました。村杉温泉をラジウム温泉として新潟県のブランドとしたい」ということで、それには「健康ビジネス連峰」というのがあって、ぜひとも参画してくださいと、そんな要請がありましたので、トライさせていただいた経緯があるんです。

事業の一環で、新潟薬科大学と提携して「健康になるための旅行商品」をお作りになっていますね。今後は「健康と温泉」、食事も含めてだと思うのですが、総合的なコラボレーションを図っていく。

荒木

温泉も自然環境もあり、歴史、伝統、文化もあり、そして食ありという形なので、そういうものをうまくまとめて、大きなブランドとして作っていきたいと思います。今進めているのは「滞在型健康管理指導プログラム」。温泉入浴プログラム、有機野菜などを使った低カロリー健康食、成人病検査などの医療プログラムの他、森林浴、運動や保養も含めた総合的な提案になっています。

本多先生が基にされているヨーロッパの温泉療養地にも近いかもしれませんね。ある程度長期滞在ができて、食と温泉と自然の景観が素晴らしい。本多先生は、あとは飽きないように色んなことを、と謳ってらっしゃいますが。

荒木

まずは足組みをしっかり作らなくてはなりません。滞在環境をきちんと作っていくことは、これから我々にとって大きな仕事ですね。環境作りという点では、ここは五頭連峰県立自然公園の山麓に位置し、すごく恵まれたところです。「うららの森」もあり、そして先には田園地帯が続いています。ウォーキングやトレッキングができますから、そこにそういった施設を点在させていくような形で、本当にリラックス、リフレッシュできる滞在環境を作っていくというのが、今後の大きな課題なのかな、と思います。

あと、文化施設みたいなものがあるといいなと思います。出湯温泉は竹久夢二の逗留で知られています。郷土資料館もなかなかの施設で、珍しいものがたくさん揃っています。新潟県内のなかでも、宝物みたいなものがたくさんありますね。旧石器、石器や土器、昔の農耕具、竪穴式住居の復元と、なんでもありますから。

川上

北方文化博物館に行っても、村杉温泉の縄文土器が飾られています。われわれが子供の時は、ちょっとそのへんの畑に行くと、いくらでも縄文土器がありました。矢じりとか石斧を拾ってきて、で、遊んで捨てるくらい。いくらでもありましたね。

施設としては、他にどんなものをお考えですか?

川上

よく洞窟風呂に入りたいなという方がいらっしゃいます。山があるから穴を掘ればできそうですよね。

荒木

オーストリアのバード・ガスタインというところもやっぱりラドンがすごいです。洞窟の中に、岩盤から発生するラドンが充満しているんですね。難病の患者がそこに滞在して、ホルミシス療養として、ラドン浴を繰り返すそうです。 また最近すごく話題になって、世界中から大勢の難病の患者がつめかけているらしいですね。

川上

あと、保養温泉地には保険も効くようになるといいんですけどね(笑)。

三朝温泉の岡山大学三朝医療センターは本当の病院ですね。ここでも温泉病院という構想が以前あったように伺っています。

荒木

 そういう構想もありましたね。昔の更正図を見ると、うちの竹林のところに土地を寄付するように分筆されているんです。そこに病院を造ろうという時代もあったみたいですね。本来、そういうちょっとした温泉病院、三朝医療センターみたいなものがあると・・・。 放射線ホルミシス臨床研究会というのがあって、東京女子医大の川嶋朗准教授が中心になって様々な若手の教授が集まって吸引効果を調べてらっしゃいます。ホルミシスでガンを治療していくというのが、ひとつの大きなブームになっていますからね。

川上

最近は一般の方でも「免疫力」という言葉をよく使っていますね。

荒木

国際温泉気候連合(FEMTEC)大会で運営委員をやらせて頂いたのですが、世界各国の方々、医師や教授の講演を聞くと、やはり温泉を利用して療養に結び付けたり、健康をテーマにしたり、レジャーも一つですが、日本のレベルでは考えられない。ものすごく先に進んでいます。世界各国で温泉を活用しているところは。そういう意味でも、私としては大きな衝撃でしたし、またこういうこともできるんだという期待感というか、そういうものも抱きましたね。

世界に通用する温泉療養地ですね。亡くなられた荒木隆一さんの遺志を継いで、ぜひ夢を実現してください。

川上

残念な事故でしたが、彼の情熱と逝去が、温泉組合全員の心に熱い気持ちを遺したのは間違いないことです。全員が村杉温泉の将来を考え、地域を愛し、昔のよき時代の復活を夢見て、組合の運営に情熱を燃やすようになりました。

荒木

祖先が守り続けてくれた貴重な財産を自分たちの時代で開花させて、後世に夢を遺したい。そういう使命感は全員一致していると思います。村杉温泉組合は、歴代組合長、荒木隆三 (あらせい旅館館主) さん、荒木裕夫 (石原館館主) さんと、温泉の栄枯盛衰の中で脈々と守り継がれてきた歴史と伝統があります。二〇〇二年のテレビ放映の時でも組合を中心として集落、観光協会、旅館組合などが一致団結して共同露天風呂の建設にあたりました。後世に残る施設にと、毎晩のように会議が開かれて、検討に検討を重ねて完成に至った。その後も毎年のようにラジウム温泉をもっと深く知るために大学教授を招いて「村杉ラジウム温泉研究会」を開催したり、他の温泉地の視察研修旅行を開催しています。

二〇〇六年十二月には新潟大学の島津光夫名誉教授の提案で、薬師乃湯二号井を活用して「薬師の足湯」を完成。その効果で年間六万人だった入浴客が一気に十万人に増加したんです。この足湯は根強いリピーターが多いのが特徴です。二〇〇八年十二月には、県内では数少ない飲泉所もその脇に設置して、さらにお客様が伸びてきました。村杉の未来はやはり「ラジウム温泉から始まる」のではないかと思っています。そして、その温泉を共有する我々が一丸となったから、一時の低迷を乗り越えて、ここまで発展してきた。このまとまりがある限り、きっと本当の「村杉温泉復活の日」が近づいてくると信じています。

135ページ

モダンな初代の薬師乃湯前景。

出典:開湯700年へ 越後村杉ラジウム温泉 奇跡の「温泉力」より

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