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奇跡の「温泉力」より

第六章 資料編「村杉の湯」

この本は、大正四年、ラジウムが発見された翌年に村杉温泉組合から発行された温泉のガイドです。記述、編集は小林存・村山亀齢氏で、全体は小林存氏、後半の「林泉読書記」は村山氏が執筆した、四十ページの本です。 この本は現在では希少で、五頭郷土文化研究会が平成十八年、原本所有者の厚意で復刻しており、本書ではそれを元に採録させて頂きました。印刷が消えかかっていて文字の判読が難しい部分については、一部省略。新漢字に直してある箇所が一部あります。ご容赦下さい。

位置

村杉の湯は、新潟県北蒲原郡笹岡村地内字村杉にあり。菱ヶ嶽の麓に位し、一帯の端山に背後を限らるるを以て、地域やや広からずと雖も、大日原、桔梗平、薬師平等諸方の広野に郊門を開き、到所、飛泉の淙々たるものあり。山光水色相待ちて、自ら四時の景勝をなせり。温泉は小字薬師平より湧出し温泉宿正に十七戸を数へ、各々特色を有す。 游客の此地の赴くには、官鉄羽越線水原停車場に下車するを最も便とし、それより金屋、次郎丸、羽黒、今板を経て、県道約二里、坦々として車馬を通ずべし。別に水原。大野地、宮島、七浦を経て村杉に達する里道あり。また、岩越線の馬下駅より下車するものは、保田橋を渡り保田街道を経て大日原を横断し来るを便とすべく、新発田町より鉄道を借らざるものは、荒町、浦村、荒川折居、女堂、勝堂、賽の河原、今板を経るを通路とすべし。まことに四通八達の概あり。

山態渓容棲閣高
温泉爽浴気初豪
詩成欄角臨風嘯
却怕驚魂猿鳥逃
橋本復堂

温泉の由来

本温泉の由来は、旧記に散見するもの、太、荒遠なり。薬師堂奉額の写しなる嶽高山温泉記に依れば、開発の元祖は足利氏の世臣名護屋尾張守が家士荒木正高といへるもの、故あり、食碌を辞して此地に来り、後醍醐天皇建武二年寅年四月朔日より七日間連続して、薬師如来の霊夢を感じ、終に湧泉を発見せるなりと云ふ。鎮座の薬師堂は其折の建立にして、当時村杉の部落は越後国蒲原郡白川庄大室組に属し、住民の戸数も多く浴場も盛なりしにや、地頭より明和五年冥加金の課賦を受けし古文書を秘蔵するものあり。後、数次の戦乱を経て霊蹟を訪ふ人も稀に、徳川三百年間の太平にも再び興隆の機会なかりしを、明治八年に至り、当時気節を以て四方に知られたる本郡葛塚町の出身遠藤七郎氏神泉の湮滅を慨し、村民有志と謀り、薬師堂境内の老杉数十株を伐りて費用に充て、共同浴場を設け、旅館の設備を改善し、以て一新面目を開き、温泉場の体裁を具へしめたり。之より浴客の菌集すること、以前の盛況にも勝りしが大正三年五月、新潟県医学専門学校教授中山蘭氏に依り、ラヂウム、エマナチオン発見、其含有量を証明せらるるに及び、更に本邦有数の霊泉として天下に其名を知らるるに至れり。

霊泉清湧地
高樹鬱参天
人在飛樓上
山雲抱月眠
城山外丈

温泉の奇効

本温泉は建武発見当時に於ては、勿論、其成分等も明ならず、唯だ薬師の霊泉なりとし、喧伝せられしが、其奇効、殆んど神に近きを見る。比較的温度低く、火熱を加へて之を高めざるを得ずと雖も、『暖まり』の湯と称して、夏秋の交、二三週間続けて入浴すれば、一冬、感冒に罹らずといひ、就中撲身、関節痛、リウマチスの類に至りては、眼前に効験をあらはせり。明治十八年新潟県衛生課、分析の結果左の成績を示せり。

無色透明、無味無臭にして、中性反応を呈す、此一(リツトル)を蒸発し得たる残渣〇、一ニガラム

其成分

 食塩 多、芒硝 多、重炭酸加留 少、有機性硅酸 少、硫酸マグネシューム 少、

温度

虚弱家及び老人小児に一日一回壮者二回三回嫌はす、入浴時刻朝夕を最良とす、

効能

痛風、慢性僂麻質斯、皮膚病、軟脆なる感冒、下腹充血、

越えて、大正三年七月、新潟県医学専門学校中山教授は本温泉に就き、詳細の研究を重ねられたる結果、左の証明書を与へらる。

証明書

新潟県北蒲原郡笹岡村大字村杉薬師堂境内一、性状、透明清澄無色無味無臭ニシテ中性反応ヲ呈シ天然瓦斯ト共ニ湧出ス

一、温度摂氏 二五、五
一、比重 一、〇〇三四
本鉱泉ニ付テ定性定量分析ヲ施行シタル結果水一リートル中ニ含有スル物質ノ量左記ノ如シ 灰分総量約〇、、三五一一〇グラム

◎カチオン之部
一、ナトリユムイオン  〇、一〇四一六七グラム
一、カルチユムイオン  〇、〇〇八一〇グラム
一、マグネシユムイオン 〇、〇〇一七七〇グラム

◎アニオン之部
一、クロルイオン   〇、〇ニ一ニ七〇グラム
一、硫酸イオン    〇、二八六グラム
一、ヒドロ炭酸イオン 〇、一五二五四グラム
此等両種「イオン」ヨリシテ学理的ニ結合セシメル物質及其量ハ左ノ如シ
一、クロルナトリユム 〇、〇三五二七七グラム
一、重炭酸ナトリユム 〇、〇ニ〇八四〇グラム
一、硫酸カルシユム  〇、〇二七五四〇グラム
一、硫酸ナトリユム  〇、二五九七二六グラム
一、硫酸マグネシユム 〇、〇〇八八五〇グラム
ラヂウムイマナチナン
但シ大正三年二月ヨリ四月迄六〇回測定
最多 七五七八ボルト  約 六五マツヘ
最小 五六六四ボルト  約 四九マツヘ
平均 六五一〇ボルト  約 五六マツヘ

右之通也
大正三年七月十二日
新潟医学専門学校教授
薬学士 中山 蘭
新潟医学専門学校助教授
太田 鐵郎

次で、新潟市、布川病院長布川医学博士も亦中山氏の説示に基き、本温泉の効能を左の如く断定発表せらる。

ラヂウム鉱泉の効能

関節及筋肉ロイマナス、慢性関節炎、坐骨神経痛、三叉神経痛、肋間神経痛等其他一般神経痛、腰痛、神経衰弱、ヒステリー不眠症、間歇性跛行、筋肉痛、腺病質肺結核及結核性諸病、肺壊疽、気管支カタル、咽喉カタル慢性カタル慢性腸カタル、常習性便秘、膀胱カタル、子宮内膜症、月経不順、重症ノ恢復期、創傷、癤瘡、痒癬等諸皮膚病上記の諸病ニハエマナチオン含有ノ温泉ニ入浴シ又ハ此ノ霊泉ヲ飲ミテモ効果著シ

大正三年七月七日
医学博士 布川 興策

村杉の杉むら深く湧き出づる
千代の泉ぞ生く薬なる
喜代

 当村は、遠藤氏復興の当時、元村杉より全戸移住したるものにして、旅館営業を為すもの左の十七戸あり。

荒木 與慶 
石原舎 荒木 與五兵衛
    荒木 重治
長生館 荒木 善吉
    荒木 作太郎
材木屋 荒木 慶藏
阿らせ 荒木 清兵衛
(七) 荒木 七之亟
菱 屋 川上 文吉
    荒木 嘉左衛門
    荒木 猶藏
    荒木 重作
    木村 喜藏
木村屋 木村 千代美
川上屋 川上 ウイ
    川上 録郎
延生館 荒木 六藏
(軒並順)

此等旅館の設備に至りては、何れも自然の山水を利用し、家屋庭園の結構、瀟洒にして幽邃、まことに人をして心閑に体胖に、別天地に在るの思あらしむ。 共同浴場は、ラヂウムエマナチオン発見後、更に大に築造して原泉の附近にあり。最も空気の流通と採光の具合とに注意し、極めて清潔なり。総じて、本温泉場の風、旅館は概ね祖先の営業振りを襲い、極めて質朴にして、僅かに湯銭、室料のみを受け、飲食の如きは各自の自弁にまかす。此故に多少の不自由を忍べば極めて軽便に入浴するを得べし。近来ラヂウム温泉たること世に知れ渡りて、遠きは九州東京より北海道に至る全国の遊子を引き寄せ、紳士淑女の滞在相次ぐを以て、接待の程度大に上りたれども、他に比すれば、猶ほ、遙かに低廉なり。自炊の物資は、概ね水原町より輸入し、山菜河魚の如きは、村内のものを以て供給すべし。

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