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奇跡の「温泉力」より

第六章 資料編「村杉温泉風景利用策」

村杉をめぐる歴史への旅

むらすぎのこどもたちに贈るまちづくりの本

第一章でふれたように、村杉温泉は建武二年(一三三五年)に発見されて以来、様々な文献にその名がのこされています。ここでは、その足跡をたどりながら、湯布院にならって、次代の子供たちにも、自分たちの郷土の歴史をぜひ読んでいただきたいと思います。初めにどうしても掲げたいのが、大正十年六月十六日に行われた本多静六博士による講話をまとめた資料「村杉温泉風景利用策」です。子供たちにも読めるように、本文は新潟県立図書館に収められているものを現代語に訳させて頂きました。

「当温泉地のような名勝地の、永遠の繁栄を考えるには、その土地の特色を遺憾なく発揮するということがもっとも大切です。 各地にはそれぞれ、その土地の特色があり、他の模倣を許さないものですが、当村杉の特徴は鉱泉に多量のラジウムを含有するということが第一であります。 試験の結果によりますと、(含有量は)五十二マッヘという多量に達しています。 これは日本でも稀でありまして、彼の有名な有馬温泉よりもその成分は多量です。 次に付近一帯に、広大な松林と共に、清麗な渓流があるということです。 ですからこの三者を有効に利用して、本土地は高尚にして優雅な、落ちつきある温泉場を作るべきものと考えます。

ラジウムの性格は、まだ学術上詳細に明らかではない点があります。しかし、人類の健康上大きな効果があることは明らかです。ただ人間だけではなく、全ての生物の老衰を防ぎ、いわゆる若返りに大きな効果があることは、学者が昆虫などについての実験によって明らかにしています。 今でもこれを利用して種々の病気をいやし、いつまでも若さを保っている例は沢山あります。一例を申し上げますと、木曽の湯沢地方にラジウムを含有する湧水がありますが、ある有名な婦人はこれを樽づめにして東京に持ち帰り、いつも飲料その他に使用していますので、常に若々しい美人です。このように、健康に注意する人はラジウムを遠いところからも取寄せて使用するのです。 この湯沢の地に薬師堂があって、古くから眼病に効果があるとして信仰が多かったのですが、近来になってここに出る水にラジウムが多量に含まれていることが明らかとなりました。

村杉露天風呂雪見

これがつまり、ラジウムの効用です。 ラジウムによってさまざまな病をいやしたり、ラジウムに浴したので妊娠した例は多数ありますが、くどくなりますので申し上げません。 このように効用が顕著なラジウムが、当地ではその含有量がたいへん多く、しかも湯にも水にも含まれて、あるいは急流となり、あるいは滝のような状態で庭などに流れているのはたいへんよいことです。 もともとラジウムを含む水は、このように揺れ動き、空気に多く触れて、初めて効果が大きくなるもので、この揺れ動きによってエマナチオンを放散してその効能を発揮するものです。 ですから、有馬温泉などでは滝を作ってその作用を充分にし、入浴したりその付近で呼吸して吸収することにしています。

当地の水は自ら揺れ動くので、非常に好ましい状態です。日本でも各所にラジウム泉はありますけれども、普通は十~二十マッヘ位。当地では五十マッヘに達し、含有量が多く、しかも常に動いているのですから、たくさん空気に触れて、多量のエマナチオンを発散し、その全積算量では国内有数のものと言えるでしょう。この土地に来ている時は私も爽快な気分になります。ずっと住んでいる方々はその効能を感じる事が少ないのでしょうが、外から来た人はすぐに感知します。私はもともと感覚の鋭敏な方ですが、この地に来ると同時にそれを感じて、非常に爽快に感じました。

北海道のある温泉は、私のこの感覚で発見したものです。私がそこに行ったら、非常に爽快な感じがありました。調べて見るとラジウムがありそうなので、ビール瓶に入れて持ち帰り試験して見ましたら、はたしてありましたので、そこはその後、非常に繁盛するようになりました。ラジウムの医療上の効能については語るべき多くのことがありますけれども、省略しまして次に赤松林の事についてお話します。

赤松林はご承知の通り、多くの樹脂を含んでいますが、この脂の作用でオゾンを多く発散します。それで松林内の空気はオゾンを含む量が多いのです。このオゾンは、人間の呼吸器病に特効があります。今日では治療で、このオゾンを吸入しているくらいです。近の森林内を散歩し、オゾンを含む空気を吸入して健康増進に努めているのです。近来は大都市付近では森林を大切にしてこれを利用し、森林公園や保養地として保存し、利用しています。今日、文明の程度が進み、すべての商工業が発達するにしたがい、市街地は人間の健康上、非常に有害になりました。欧米各国では、公園は「都市の窓」といわれ、公園のない都市に住むことは、窓がない家に住むのと同じです。それなのに、大都市や近郊では、土地代などの経済上の関係から、かんたんにつくることはできません。さらに各方面の交通機関が発達したことから、遠隔地でも風光明媚で気候が温和な森林にそれを求めるようになりました。

また、学校でも、近頃は林間学校を作って森林内で運動し、林間学校などを行うことが流行しまして、米国などではそれが数千にも達しています。つまり、林の新鮮な空気を呼吸しつつ講義を聴くので、健康上もきわめてよいのです。 こんなふうに、今では山間の景勝地はとても繁盛しています。 当地は森林をもち、土地が良い上に、ラジウムを多量に含む温泉をもっているのですから、これは「錦上華を添へる」とか「鬼に金棒」とかいうものでしょう。将来、きわめて有望でたいへん発展する素質をもっているものと考えます。ですから、この付近の官民有林を合体させて統一感のある風致林にして利用し、また、豊富な水を利用すれば、リフレッシュすることができると思います。このように、水流を利用し活用するのはとても大切な事で、風景には「山水」というように、山と水が必要です。自然とうまくつきあって、充分な調和を保つことで風景は活きるのです。

当地方は花崗岩質です。水はたいへん清澄ですから、うまく利用すれば、将来、山間の保養地としてたいへん発展することと思います。 けれども、これらの特徴を十分発揮させるには、まず第一に道路の設備をしなければなりません。 もともと天然の山水風景は、天がその国に与えてくれた一大美術です。国民は、しっかりこれを保存すると同時に、身分の高い人も低い人も、お金持ちも貧乏な人も、日本人も外国人も、差別なくそこに近づいて観賞させる義務をもっています。 それなのにここに到着するための道路がなければ、天が与えてくれた絶景もむなしい話です。山水風景に対する交通機関の設備は、ちょうど美術品を保管する「倉の鍵」のようなものです。その扉が開かなければ、歴史的な名画が箱に入れられて世に出る機会がないことと同じなのです。

一、廻遊道路

一般に風景地の道路は、全体では一日か数日散策できる大きな廻遊線と、中くらいの廻遊線、小さな廻遊線といった具合に、系統的に整備することが普通です。 こうして数日間滞在して、異なる風光に接しられることが必要です。

イ、登山路

人間、ことに若い人は皆それぞれ希望があり、向上心のあらわれとして、高い所に登って広く見下したいという気持ちがあるものです。登山道路を第一に選んだ理由がそこにあります。当地は背景に山岳があり、前方は遠く平野に接して展望がとても広く遠くまで見渡せる所ですから、これを利用して展望台を作れば、絶好の光景になります。 ここでの登山道路は往路としては薬師堂から登り、高岳山を経て少し休憩。一本松についたら、帰路は一本松から須賀神社境内に帰る道路を修繕したらどうでしょう。 この道路は将来は拡大して、城山に至るようにするのもよいですね。

ロ、平坦地の遊覧道路

これは女性や子供のように足が弱い人も歩くため、相当変化があり、曲折がある回遊道路とします。様々な光景に接しられるようにして、往路と帰路は必ず異なる道にします。樹林の美、水流の美をあしらって、飽きる事がない散歩道になります。 こんなふうに大、中、小の回遊道路を作って二、三日の行楽を楽しんでもらいます。 大廻遊線としては、ひとつには菱ヶ岳方面の滝道のようなものを作る必要があります。 この道路はまっすぐなものではなく、沢を飛び、岸を歩き、山腹を渡るなど、いろいろな変化を見せ曲折して作りましょう。道幅はあまり広くなくてかまいません。二メートルから一メートルくらいで大丈夫です。

危険がないように整備することはもちろんですが、少しくらい危険な感じの所がところどころにあるのもかえって面白いでしょう。人間はある程度は冒険性があって、危険かなと思うような所を歩いたらとても愉快な感じを起こすものです。ことに水に沿って歩くようなところがもっともいいのです。 桔梗ヶ原で安野川岸に沿って曲りくねりながら下りて魚岩へ。大日ヶ原の陸軍演習場附近の高原についたら、その池畔などを見て大日如来に参拝し、村に帰る。これを大廻遊線とします。 その他、公園地帯の各所に道路や水流を作って、散歩道路としましょう。

ニ、風致林の手入と補植

温泉付近一帯は、官有林も民有林も、全部風致林にする必要があります。 国有林は桔梗平の二十町歩くらい、中間材試験地を除いて他を保安林にする必要がありますが、まずは委託保管か、借地にして風致地区にしましょう。そしてここに続く民有林は同じく保安林にするか、所有者と協定の上、風致地区の取扱いにしなくてはなりません。 村杉の平坦部の森林は、現在松だけの林になっていますが、これは景色が単調であまり面白くありません。地形、位置などの関係を見て、適当な樹種を点在させ、自然の要素に適応して森林美を変化させましょう。

例えば、松の下に桜とか紅葉とかを植え込む必要があります。古いことわざに「松千本、桜千本、紅葉千本あれば如何なるところも名所地となる」とあります。日本では風景の中心は松。幸い、当地は立派な松林がありますから、これを利用してさらに楓桜などを配置すれば、色彩の調和がもっともよく、松の緑はもっと鮮やかに紅葉、桜もますますその美しさを発揮します。桜は山桜でいいでしょう。自然らしさがあり、春は花、秋は紅葉にいっそう風流な印象を添えてくれます。同じ森林でも場所によって、それぞれ扱い方を変えなくてはなりません。旅館に接するような場所では、しっかりと伐採して疎林にし、陽光がふりそそぐようにしなくてはなりません。

村杉は全体的に少し陰気な嫌いがあります。この疎林の下は一面の芝生にして、この野芝をいつも刈って美しく手入を施し、ここをお客様は散歩し、新しい空気を吸って日光を浴びるようにします。さらにこの芝原で食事するのも楽しいものです。芝生の上にテーブルを置くか青草の上にじゅうたんをしき、松の下で楽しく話しながら食事するなんて、とても楽しい光景です。つまり、温泉地では天気がよい時は、できるだけ屋外で過ごせるよう整備すべきものなのです。

日本では、従来の習慣として多くの人が屋内にこもり、お湯に入っては寝たり何にかしています。これは健康上よくないだけでなく、すぐに飽きてしまい、長く滞在しません。 欧米では入湯は一日に一度、二日に一度位にして、日中は近くの山野を散歩して楽しく過ごします。これによって健康を増進させているのです。村杉は地勢上、屋外散歩にもっとも適した土地なのですから、この点に着眼し、公園地の施設と共に芝生を整備して、屋外で過ごしてもらえるように努力するのが大事なんです。それから公園内の両側の森林、例えば本村の入口の橋の両側などは、一八メートルくらいに整備して、荊棘や山草を刈り取ってドウダンとか山吹とか萩などとか、風致にいい樹木草花は刈り残し、茅などの雑草は充分きれいに刈取ってしまいます。

藪の刈出しを年に二~数回行えば、美しい下木、下草だけ残って、刈込んだ芝生地のようになり、初めて公園らしくなるものです。広大な森林をどこまでも同じように刈り出してはいけません。つつじ、きりしま、やまぶき、あやめ、ききょう、おみなえしなどの二、三株から数十株を青芝の間に配置し、所によっては苔むした岩石が横たわっている。その下にまた・・というように、常に目先が変って行くようにするのです。けれども他の地方の近頃の公園は、とにかく森の下を掘り起こし、地面を裸にして赤土を露出したり、道路の両側の日陰になる木などを伐採してしまい、その代りに小さい桜や楓などを単調に並べて植えるように、ほとんど裸の公園同様。いいことではありません。なお、公園内で、こちらの道から向こうの道を見通せるようにするのは禁物です。

向こうに道があれば、その真中に藪を自然に残すか、灌木を自然な感じに植えて、向うの道とこちらの道の見通し出来ないようにします。この木は、下枝が繁る種類を使い、決して一列にしていかにも人が植えたように見えてはなりません。出たり、刈込んだり、飛んだり離れたり自然にそこにあったように植える。森林は、どこまでも同じ状態では面白くありません。天然の地形、位置、土壌等に応じて適当に配置し、各処の風景美の特徴を出す必要があります。 どの山にはツツジが多い、モミジの時期にはどこの谷に行け、というように、あるいは紅葉谷、ツツジ岡とか桜の山などというように、特徴を持たせましょう。

この公園内では、紅葉は水に美しく映え、また鹿に調和するものですから、鹿林の付近、安野側の岸に補植します。鹿林では松の中に楓四、桜一の割合で植込み、安野川岸には現在の森林をまばらにして紅葉を補植することにします。桜は明るいものですから、桔梗平の運動場付近に植栽します。ここでは桜四分、楓一分の割合で補植。次にツツジは、荒清の庭園の向うにある高岳の山腹にある、自然木を保護し、補植してツツジが岳としましょう。 以上はどれも現在の松を主体として、その下にこれらの濶葉樹類を配合、補植するもので、決して松を伐採して濶葉樹林としてはなりません。下草も各所の特徴をだすように努め、あるところではツツジ類を残し、あるところでは萩を保護するように、すべて天然自然に従い、ここに補植して自然な感じに作ることを原則とします。これらの詳細は、実地に当って調査計画すべきものです。

めおと杉

薬師堂境内にあるめおと杉。背景には鬱蒼とした森林が広がる。

三、各局部の設備

イ、展望台

展望台は、当温泉地の背後にある一本松に設けましょう。一本松は、温泉旅館からわずか三町くらいの登り道ですが、東北西の三面が遠く開けて、蒲原平野に接することができます。遠くは佐渡ヶ島から角田、弥彦の連山はもちろん、新潟、新発田、新津の都市から蒲原平野の田野、村落、河流、沼湖などが眼下に広がり、背後の南方には菱ヶ兵の険しい山が高く聳えて広々とした展望が望めます。まれに見る絶好の地です。 展望台はやぐら状に組立てて一間位の所に六畳位の眺望台を作り、パノラマ図を造ります。

パノラマ図は屋根裏を利用して全体を円形の大きな図にして、各方面の眼下の山水、村落、建物その他すべての著名な景物を実際の順序に実際の方面に見えるように書き写し、置くものですから、だれでもこの図と同じ方向を眺めて、自由に実際の地理を知ることができます。小中学の生徒たちには必要欠くべからざるもので、地理というものはこうして実際に見ることで、もっとも簡単に学べるものなのです。 西洋では展望台でも立派なものがあって、石で積み上げて永久に強固なものを作り、その上に篤志家などが寄贈した望遠鏡を備えて無料使用させています。その下には茶屋のようなものがあって、絵葉書や何かを売っているところもあるようです。

ロ、あずま屋腰掛けの設備

登山道路の途中で、高い山の小台地には、あずま屋を備えて休憩に使ってもらうと共に、眺望を楽しんでもらいましょう。登山道の眺望がよい位置には見通しを造ります。そして適当な場所に腰掛けを置いて、腰掛けて見るときに邪魔になる枝葉は伐採します。大体、見通しの高さは三十センチくらいあれば大丈夫です。大人でも子供でも腰掛けて三十センチとは違いません。目の前は三十センチ位ですが、先の方を段々広げます。そうすれば前方の村の中でも海でも街の方でも見えます。けれど、この見通しは同じようにぐるっとやっては面白くありません。木を残し、その間から眺望が出来るように。その木は頭を伐らず、邪魔になる枝葉のみを伐り通します。それも、いかにも伐ったようにしないで、自然に枝の間に隙間があって、そこから見えるように伐らなければいけません

足湯クローズアップ

現代風あずま屋?共同浴場の足湯は、大人気の施設になった。

ハ、運動場

運動場は大小二つを造ることとします。大運動場は本村入口の橋の上方、桔梗平の松林内を伐り開いて、約四十五メートル×六十三メートルのものを造ります。 地ならしして適当な楕円形にして、競技場としましょう。観覧場となる分は、その周囲に幅十八メートル位をあて、この部分は松をすべて切り倒すのではなく、適当に疎らに伐って日陰を与えます。ここに桜のようなものを混植して四囲の光景を明るくして、地表には芝を生え、芝の上に座れるように。近くには水流を導いて流れを造り、洗場を設ける必要があります。

この運動場にはその他、便所、茶屋を適当な位置に設備しなくてはなりません。トイレは外観からは見えないように、植込みなどをして標示しましょう。小運動場は薬師堂の前面下部に設置します。これは主として子供の遊び場にするもので、約百坪を整地して砂を敷き、危険がないよう配慮します。ここにブランコ、遊動木、スベリ台などを設備します。ブランコは最近ではたいへん新しいものがあって、自動に動くものがありますから、それらを設置すればとても歓迎されることと思います。滑り台も子供らがたいへんよろこぶもので、お客様が退屈な時の遊び場としてはとてもいいものです。 なおここには強力な電灯をつけて、夜間も散歩かたがた遊ぶことができるように。

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