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温泉と健康より

これからの温泉療法

現在の温泉ブームはいささか過熱気味だが、人びとの健康志向、自然回帰志向の高まりを反映しているともいえよう。医学的に管理された広義の温泉療法は、ストレス社会、高齢社会の中で、日常生活のリフレッシュはもちろん、心身のバランスがとれた健康生活を長く維持し、糖尿病や高血圧症などの生活習慣病を予防するためにも有効である。

日ごろの生活から気候や地形の異なる温泉地に転地して、温泉浴に加え静かな場所での睡眠、読書、散策などの休養行動で心身がリラックスする。一方、日常の労働から離れてストレスを除いたり、温泉プールでの軽い水中運動、森林浴、競い合いのないレクリエーション的なスポーツなどの活動を楽しむ。温泉地には、こうした保養の受け皿になる施設やメニューづくり、専門的な人材の養成が求められる。日本の温泉地で、自然環境(泉質、気候、地形)を生かした温泉療養のための施設を整えるのが、これからの大きな課題といえる。

一次予防の場としての温泉

二〇〇〇年、厚生省(当時)は、二一世紀を迎えての新しい国民健康づくり運動を提唱した。生活習慣病のリスクファクター(危険因子)を少なくし、健康寿命の延長やQOL(生活の質)の向上実現を目的とするもので、疾病予防の中心だった「検診による早期発見、早期治療」(二次予防)にとどまらず、「健康を増進し、疾病の発病を予防する」一次予防に一層の重点を置いた対策を推進すること―を基本方針にしている。そのためには、生活習慣を改善して健康づくりに取り組もうという個人に対して、社会全体で支援する環境を整備することが不可欠になる。温泉保養地は、予防に重点を置いた健康運動の受け皿として、最適の機能をもっている。

メタボリック症候群の予防

メタボリック症候群は、肥満(特に内臓脂肪の増加による)が原因で、高血圧、高脂血症、高血糖などの代謝異常が起こる病的状態で、放置すると動脈硬化症、糖尿病、心筋梗塞、脳卒中などの生活習慣病になる危険性がある。

厚生労働省は二〇〇八年四月から、四〇‐七四歳を対象にして、腹囲、血圧、血糖、脂質の目標数値を設定した特定健診を導入。積極的支援対象者(メタボ該当者)、動機づけ支援対象者(予備群)に対して、医師、看護師らが生活習慣の改善を指導している。国民健康保険や企業の健康保険組合などの保険者にその実施が義務づけられ、被保険者だけでなく被扶養者も指導の対象になっている。健診や指導の達成度に応じて、保険者による後期高齢者医療制度の負担額が加算または減算されるというペナルティまで設けている。

メタボ対策は、食生活の改善と減量のための運動が中心になる。しかし、ウォーキング、ランニング、ジムでのペダルや自転車こぎは、長期にわたって実行することはなかなか難しい。この点、温泉プールなどでの水中運動は、楽しみながら取り組むことができ、比較的飽きずに長続きする。減量効果も確かめられている。企業、自治体が、温泉地の健診センターや医療機関などと連携して、特定健診・特定保健指導を行う利点は大きい。

現代医学と自然療法

現代の多くの日本人にとって、医学といえば近代西洋医学を意味する。この近代西洋医学は、からだや病気を臓器、組織、細胞、タンパク質、分子、遺伝子(DNA)と細かく分けて研究する「要素還元主義」の考え方を基にしている。そして病気の治療は、薬剤投与や外科手術に代表されるように、病巣や障害を取り除く手段に重点を置いている。西洋医学の発達などによって、日本は世界一の長寿国となり、世界でいち早く超高齢社会を迎えた。その半面、薬剤や治療によるからだへの副作用や、高価な設備や薬剤による医療経済の圧迫など、マイナス面も深刻化している。

近代医療に対する反省の声も次第に強くなってきた。からだをつくっている分子をいくら集めても、心のある人間を組み立てることはできない。そこで、からだばかりでなく、精神的な側面や、心身一体論的な考え方も取り入れ、人間全体を理解しようとする「全人的医学(ホリスティック医学)」に関心が寄せられるようになった。同時に東洋医学のような伝統医療や自然療法などへの関心が高まってきた。西洋医学以外の医療は「伝統医学」「民間療法」などといわれている。近代西洋医療を補完する療法という意味で、イギリスでは相補療法(Complementary Medicine)、アメリカでは代替療法(Alternative Medicine) としている。ただし、科学的根拠に基づく医療(EBM)の観点からは、伝統医学、民間療法の中には根拠が不十分なものが多い。極端な場合には患者さんの弱みにつけ込む詐欺まがいと思われる事例があるので、対応には注意が必要である。

統合医療の出現

近年、数千年の経験の蓄積がある伝統医療を近代医学の手法で検討し、その科学的根拠を確かめようとする動きがあり、「統合医療」として注目されるようになった。統合医療は、あくまでも現代西洋医学をベースとし、それに加え、①大学医学部で教育されない代替・相補・伝統医療も含めて、患者さんや療養者の立場に立って行う、②疾病の治療だけでなく、予防、健康維持・増進までのケアを行う、③からだだけでなく、精神的な健康も得ることを目的とする、④個々人に最も適した全人的医療を一人ひとりの病状や体力に応じて最も適した処方(テイラーメイド)で行う。

統合医療の内容は、現代医学の考え方をベースに、「鍼灸」「漢方」「東洋医学」「サプリメント・健康補助食品・機能食品」「アロマテラピー」「運動療法」「心理的療法」「食事療法」「自然療法(温泉療法、タラソテラピー、森林セラピー)」などの広範な療法を含んでいる。一方で、前項でも伝統医学、民間療法の注意点に触れたが、日本では「西洋医学との融和」といった響きのよい言辞のもとに、統合療法がムード的に唱えられている側面も否定できない。本質的論議を今後に待ちたい。

統合医療実践の場としての温泉療法

人びとは古くから温泉、山岳、森林、海などの自然をうやまい、信仰の対象としてきた。さらに、このような自然が、心身を癒したり、医療効果をもたらしてくれることを経験的に知っていた。自然療法では、自然がもっている健康素材を活用するとともに、利用者が積極的に療法に参加することが前提条件になる。心身の機能をトレーニングして、自然の治癒力を高め、病気の回復を早めたり、より健康になることを目的としている。とくに温泉療法では、単なる温泉浴ばかりでなく、心身のリラクセーション、ストレスからの解放、温熱療法、理学療法、運動療法、食事療法などに総合的に取り組むことが望ましい。温泉療法は、楽しく、気軽にでき、しかも安全で副作用などの少ない統合医療のひとつといえる。

病院よりも温泉へ(介護医療)

温泉には、高齢者のコミュニティセンターのような機能をもたせることができる大きなメリットがある。国民健康保険中央会は、一九九九年と二〇〇〇年に、全国の自治体を対象に「温泉と高齢社会と医療費との関連」についての調査を行った。その結果、①高齢期を健康で過ごすには、人びとが気軽に出かけて楽しく交流できる「場」が必要で、温泉が最適、②温泉を積極的に保険事業に活用している自治体では、老人医療費が低下しているところがある、ことがわかった。

病院の待合室がお年寄りのサロンになり、それが医療費増大の一因といわれてきたが、温泉を上手に利用することによって、個人の健康が維持・増進され、生活の質(QOL)を高めることが期待でき、高齢者の医療費の増加を抑制する可能性がある。「病院よりも温泉へ」である。

温泉に以下のようなシステムを導入することで、元気な高齢者の生活の質をますます高め、世代間交流によって地域社会の活性化にも貢献できるようになる。

①温泉プールでの水中運動。屋内での単調な体操や自転車漕ぎなどの器具を使っての運動に比べて、水中運動は楽しみながらでき、関節や筋の痛みを和らげ可動性が増す。また、骨粗しょう症の予防に効果があり、骨折して寝たきりになるのを防ぎ、自立支援に役立つ。
②保養活動。医師、保健師、栄養士、運動指導士らの専門家による健康診断、健康教育、栄養の指導・相談を行う。
③支援サービス。自治体は利用者のための送迎バスのサービス、入浴介助サービスを提供する。
④福祉、介護に結びつける。ショートステイ、デイケアセンター、訪問介護ステーションを併設したり、老健施設などと連動してサービス体制を広げる。
⑤ボランティア活動の場。お年寄りの経験や蓄積された知識を、いろいろな趣味のグループの指導、森の案内、山菜とり、バードウォッチングなどの指導に生かしてもらう。

右に挙げた施設・サービスなどはすべてを網羅する必要はなく、その地域の自然環境、文化的環境、人口構成、住民の希望などを踏まえ、地域の特徴を反映させるべきである。現在至るところに見られる「金太郎飴」のような無定見な設計では、すぐに飽きられてしまう。

中長期滞在のビジター向けに開発

温泉地では、周囲の自然環境を活かし、国内外のビジター(訪問者)が中長期に渡って滞在できるような仕組みが望まれる。最近、単なる観光旅行ではなく、はっきりした目的をもった新しい旅行の形が注目されている。次にいくつか挙げてみよう。多くの温泉地では、複数のツーリズムを標榜することができるはずだ。

①ヘルス・ツーリズム。温泉、海岸、森林保養地に滞在して心身のリフレッシュ、積極的な健康づくりを目的としたメニューに沿って、医師やコメディカル(医療従事者)のアドバイスを受けながら行う。
②エコ・ツーリズム。地域の自然や文化財などに触れ、学び、体験を通じて地域の理解を深め、地もとの人たちと交流をする。
③ヘリテージ・ツーリズム。文化・歴史的遺産や、自然資産を学び体験する。世界文化遺産や世界自然遺産が好例。
④グリーン・ツーリズム。地域の農業・牧畜などを体験し、地もとの人たちと交流を行う。
⑤ヒーリング・エステティック・ツーリズム。美容やマッサージなどで心身を癒す。

ヘルス・ツーリズムと温泉療法

高齢社会を迎えたなかで、行政は「積極的な健康づくりで、疾病予防と健康寿命の延長を」との方針を、次々に打ち出している。観光旅行業界でも、健康づくり、ストレス解消、体力増進、疾病予防を目的とするヘルス・ツーリズムという旅行形態が注目されるようになってきた。

二〇〇七年には、特定非営利活動法人「日本ヘルスツーリズム振興機構」が設立され、キャンペーンやモデル事業の研究などに取り組んでいる。健康保養地療法は、ヘルス・ツーリズムを実践する場としての意義が大きい。同機構はヘルス・ツーリズムを、「自己の自由裁量時間の中で、日常生活圏を離れて、主に特定地域に滞在し、医科学的な根拠に基づく健康回復・維持・増進につながり、楽しみの要素がある非日常的な体験、あるいは異日常的な体験を行い、必ず居住地に帰ってくる活動」と定義している。温泉、森林、高原、山岳、海洋などに恵まれた健康保養地には、この定義に沿う形で、地域特性を生かした多彩なプログラム提供することが求められている。

日本の温泉を世界に

一九七〇年代には、北海道大学、東北大学、群馬大学、岡山大学、九州大学、鹿児島大学の国立大学六か所に、「温泉医学を研究する施設と病院」があった。その後、機構の改廃が行われ、現在では大学レベルで温泉気候医学を専門に研究する施設は、まったくなくなってしまった。当時の文部省の大学組織のスリム化路線の一環に沿った動きと、先進医療や遺伝子関連分野などの研究を最優先とする流れの結果とはいえ、温泉医学や自然環境医学の研究が姿を消したことは大きな損失だった。自然を理解し、保護しながら健康づくりに役立たせようという社会の志向に応じて、新しい研究体制を整える必要がある。そのためには、温泉を中心にして、自然療法に関連する環境医学や統合医療を総合的に研究する公的研究施設をつくることが急務ではないだろうか。

日本の温泉や気候環境は、世界に類のない優れた特色を持つ。しかし国際性という面から見ると、温泉関連産業と学術研究のいずれもが閉鎖的で、いわば「温泉鎖国」の状態にある。日本の温泉に関心を寄せて海外からやって来る研究者や旅行者にとって、温泉地の情報はあまりにも少ない。外国語での案内図、標識、通訳などが整っているところもほとんどない。国が進めている「ビジット・ジャパン・キャンペーン」(外国からの観光客を年間一〇〇〇万人とする運動)でも、温泉の魅力をもっとアピールしたいものである。

温泉はすべての人に、健康づくりと癒しの場を提供する可能性を無限にもっている。しかし、現在の温泉地の利用は、経済効果を狙った一泊宴会型かレジャー観光型がまだまだ主流といえよう。温泉の保健作用に着目した、新しい健康保養地の実現を強く望みたい。

出典:健康と温泉より

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